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 学院開校15年目に入り、時の流れの速さに驚かされます。
 この15周年の佳節に向けて、卒業生達が自らの日本語の勉強、在学院時代の思い出や、翰林日本語学院への感想等つづってくれました。ここに紹介するのはその一部ではありますが、無我夢中の指導の中から学生達が自分なりにつかんだ「翰林像」を表現してくれました。当学院を理解していただくのに、これ以上のものはないと思っています。
Khrebtishchev E.V. (ロシア)
 日したのは1999年11月の下旬だった。モスクワからの9時間の飛行、成田からの信じられないぐらい遠いホームステイ先までの道、僕の初日本。現代日本の生活など殆どわからない僕をホームステイ先のお母さんが学校まで同行してくれた。「ね。この学校の事どうやって知った?」と、お母さんが聞いた。「すごくちっちゃいよ。一人で行ったら絶対に分からない・・・」と。本当だった。静かな住宅に囲まれた公園のすぐ側に小さい三階建ての校舎。翰林日本語学院。ドキドキ。
 「Zdravstvuite. Ochen priyatno s vami poznakomitsya.」と校長先生がロシア語で最初の挨拶をしてくれた。必要な手続きとプレースメントテストを終えて「じゃ、明日、9時半です。よろしくお願いします。」と校長先生が言った。それが僕の学校生活の始まりだった。校舎は古くて小さいものだったけれど、学生も先生もとても仲良く、コミュニケーションがとても上手に出来ていた。冬が来た時、一階にある小さなロビーにストーブが出されて、そこで色々な国の学生達がそれぞれの国の習慣、生活、どの国の女の子が一番きれいだとか言う事を話していた。相変わらずその会話の参加者の一人は校長先生だった。「ゴメン、タバコない?」と声をかけてくれていた。そういう風に学生とコミュニケーションをとりながら学生の信頼などを得て、困った時はいつもアドバイスをしてくれたり、どんな手段でも学生を救おうとしてくれていた。校長先生、本当にありがとうございました。先生に助けられて、教育を受けて立派になった人は何十(何百?)人もいる。教務室には、いつも授業の準備をしている先生の姿があって、進学の問題、日本語の分からないところ、生活の質問、なんでも気軽に声をかけて学生に接していた。小さいものの、仲良くて温かい雰囲気の翰林が今も目の前に時々浮かんでくる。
 翰林日本語学院が引越しをした。広くなった。施設も立派で、日本一といえるかもしれない。けれど、あの小さい翰林のいい雰囲気を守ろうとしている。相変わらずの校長先生と優しい先生達・・・もう一度勉強しようかな。
張大俊(韓国)
 林日本語学院のことは全く知らず、たまたま知り合いの紹介で入学を決めたのですが、この「たまたま」に私は感謝しています。入学当初、まだよく学校のことを知らなかったので実は「こんな小さな学校で、ちゃんとした勉強が出来るのか」と不安がありました。
 しかし、実際に勉強をしていくうちに、教えてらっしゃる先生方がみんな素晴らしい方でとても優しいことが分かってきました。教育方針も、どんなレベルの学生でもそれぞれ適当なクラスで勉強が出来るようにしている。私もその中の一人でした。私は日本に来る前、韓国で日本語を勉強していなかったので、ひらがなから習う学校で一番下のクラスで勉強を始めました。その時は、学校を卒業しても日本語が話せるようになるのだろうかという不安な気持ちでいっぱいでしたが、時間が経つにつれて自分の日本語も徐々に上手に待っていくのを感じました。入学2年目の時、年に1回ある弁論大会に出て日本語で色々な人の前で自分の意見を述べられるようになったことと、難しいと思った日本語能力試験1級に合格した時は、あらためて翰林に入学してよかったなと思いました。今でも先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。もうひとつ、翰林の特徴は校長先生と学生の関係がとても近いことです。引越し前の校舎と比べ、今の校舎は施設も環境もすごく良くなったし学生も増え色々なことが変わりましたが、相変わらず変わらないことは校長先生や先生方と学生との良い関係です。時には友達のように、時にはお父さんのように、学生の色々な悩みの相談に乗ってくれたので、安心して勉強や学生生活が送れました。これから日本語を学びたい人には卒業生として翰林日本語学院を強く勧めたいです。
Amadou Cissoko (セネガル)
 000年10月、私は翰林日本語学院に入学しました。その頃は、まだ校舎は青葉台ではなく、JRの十日市場駅近くにある小さな校舎でした。私は初めは、ひらがな、カタカナから学び始めました。さらに言葉だけではなく多くのことを学びました。例えば、日本の文化、日本と外国との関係、歴史など・・・。
  ちょうどその頃、校舎は青葉台に移転し、校舎はとても広くきれいになりました。先生方も以前と変わらず、親切で熱心で分かりやすく気持ちの良い授業を受けていました。私は翰林に入学した頃はとても不安でした。特に漢字の勉強(文字の多さと読み方が色々あり、さらに書き方が似ている・・・)。私は、セネガルでは日本語を全く勉強していませんでした。翰林の学生は多くの国から勉強をしに来ていましたが、私は中国や韓国の友人達(漢字圏)と同じクラスで学ぶことになり、最初はとても不安でしたが3ヶ月ぐらいやってみると、大丈夫だと思えるようになりました。本当に先生方のおかげで、私のレベルも上がってきました。先生方、他の国の友人達とのコミュニケーションが上手に出来るか不安を持っていましたが、すぐに分かりました。翰林の先生方はよく心得ていてくれて、すぐに不安もなくなりました。私は1年半だけ翰林で勉強しましたが、現在はほぼ日本語も話せるようになり、読み書きも出来るようになりました。本当に2年前までは信じられないことでした。
 今、職場では日本語を使って働いています。翰林で心に残っていることは2つあります。
  ひとつは、自由にコンピュータを使うことが出来てとても助かったこと(インターネットで自国といつでも連絡が取れたこと)。
  もうひとつは、校長先生を中心とした先生方や事務職員と学生達の関係です。本当に同じ家族みたいでした。
 私は、翰林日本語学院の1年半の学生生活は決して忘れません。翰林のお陰で、日本での快適な生活を始めることが出来たのですから。
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