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本の
アイデンティティー・・・
我が国が「倭国」から「日本」という名称で定着したのは8世紀あたりで、ここに至るまで中国や朝鮮半島との交流を通じて、多くの渡来人が日本の文化形成に貢献してきた。そして、中国の王朝より「律令制度」という政治システムが伝わり、天皇を中心とした中央集権国家が奈良(平城京)時代と平安(平安京)時代を通じて確立していく。この天皇・貴族・寺社中心の政治の中から武装した農民達、つまり「武士」が誕生し、やがて約七百年も続く武士政権を築いていく。彼らは「将軍」を中心とした幕府(武士中心の政治機構)政治を行い、農民の「土地は耕した人間のものだ。」という現実主義をもとに「武士道」を作り上げていく。
十九世紀になると、欧米列強による世界的な帝国主義の潮流と国内の幕藩体制の揺らぎの中で武士政権は崩壊し、日本は西欧の文化を摂取(文明開化)しながら天皇中心の近代国家を確立していく。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、中国・ロシアとの戦いを皮切りに、二度にわたる大戦を通じて西欧列強の仲間入りを果たし、一九四五年の太平洋戦争の敗戦後、民主主義国家として新たに国際貢献への道を歩んでいる。
以上が、日本の大まかな概略であるが、この中で現在の日本人のアイデンティティ形成にとって重要な出来事がある。それは二度にわたる外国との断交時期である。一つは平安時代中期(八九四年)に起こった遣唐使廃止、もう一つは江戸時代初期(一六三九年)の鎖国である。これら二つの出来事は、諸外国から吸収した文化を独自の文化へと高めた。「源氏物語」などの物語はこの期間に産み出された。外延性と鎖国性が今日の日本の文化の形成に大きく関与している。
原始より日本人は、言葉は「言霊」(ことだま)すなわち、言葉それ自体に霊が宿っているものであると無意識的に信じている。例えば「四」は「死」と同じ発音であるので忌み嫌われる。日本語には「大和ことば」という日本古来の話しことばがあり、そこに六世紀に中国から仏教・儒教と共に漢字を「輸入」し現在書きことばとなっている。だから、文字は中国産なのだが響きには日本独特の信仰にも似た意味を含んでいる。現代の日本人にとっても、この言葉に対する意識は脈々と生き続けている。
また、武士政権時代に育まれた庶民文化の存在が、現代日本人の職人気質の形成にとって大きな意味を持っている。室町時代(十四世紀初頭〜十六世紀後半)には折り紙やふろしきが発明された。切らずに「折りたたむ」という発想が「縮小」志向を産み、それがあの二十世紀日本の最大発明と言われる「ウォークマン」につながっていく。この「手先の器用さ」が文化として一人一人に根づいたことが、日本が技術大国として経済成長した要因の一つとなっている。また、精神面でも、江戸時代(十七世紀初頭〜十九世紀半ば)に関西(京都・大阪)と関東(東京)で興隆した文化の中から「人情」が育まれ、日本人一人一人の「コミュニケーション」の根幹となっている。さらに、武士の本質である「リアルである」という思想が日本人の行動様式を方向づけており、現代日本人の特徴である、仕事に対する「勤勉さ」や「一意専心」の心は、理想ではない武士の現実的な生き方そのものの反映である。
日本は島国である。四方を海に囲まれ閉鎖的であると思われがちであるが、実は海に囲まれていることが逆に海外交流への「あこがれ=憧憬」気質を産み出している。古くは中国・朝鮮との交易に始まり、東南アジアまで貿易範囲を拡大させていく。日本の歴史上、多くの商人達が海外でも活躍し、多大な成果を上げている。現代日本人の中には、武士=農村的=陸的発想と共に、商人=貿易的=海的発想が歴史的に共存している。
この陸的発想と海的発想の両面の理解が、日本を理解する重要なポイントであるように思われる。
二十一世紀が始まった。インターネットが普及し、それに伴う多分野におけるグローバリゼーションの世紀であるにもかかわらず、世界情勢は二十世紀以上に問題が複雑化し、ますます混迷の度を深めている。二十一世紀を平和の世紀・幸福の世紀にするためにも、まずはお互いの文化・特徴をわかり合う必要があり、そこにはあらゆる分野における対話が不可欠である。国際交流の盛んな時代。皆様が、日本を、日本人を、日本という形を、目で、耳で、鼻で、口で、そして感覚すべてで知ってほしいと切に願っている。
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